ロシアの新体制と明治体制
プーチン、メドベージェフの政権が、ロシアに生まれた。
大統領だったプーチンが、側近の第一首相メドベージェフと交代した。
そして、自らは、メドベージェフのポストの首相につくという。
整った法治国家に馴れた現代日本人には、奇異に映る現象だ。
しかし、ロシアが、新体制をうち立てたばかりの新興国家だ、
そこに目をつけると奇異さが氷解する。
つまりは、プーチン・メドベージェフの二人三脚で当面行こうというのだ。
発展途上の資源大国、資本主義の後進国ロシアには独裁体制がいる。
うかつな、政権交代で、国力を分散する余裕は、まだ、ない。
明治の新体制で、日本人はどうしたか。
この頃、岩倉、西郷、木戸、大久保の維新第一世代はさり、
伊藤博文と山県有朋を主力とする薩長二大勢力が、次代を担っていた。
当然、長州のこの二人が、交代して日本の政権を動かした。
内閣制ができたその最初を伊藤が担った。
山県は、内閣の大黒柱の内相につき、長州内閣をを支えた。
第二代に薩摩を挙げる必要が生まれたが、山県は内相を堅持し、
伊藤は、条約や憲法の決定権をにぎる枢密院を創設してその議長だ。
薩摩の黒田の次は、長州の山県が首相になった。伊藤はそのまま。
東西、国を異にしても、政治のダイナミズムは似たようなものになる。
現在を理解し、未来を卜すするには、歴史を心読するに限る。
プーチン、メドベージェフ体制は、当分続く。
これとつきあうのが対露外交だ。北方領土の運命もその中にある。



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